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昭和の時代に、爆発的に流行ったスポーツとしての代表格はボーリングですが、見るスポーツで流行ったものといえば「ローラーゲーム」でしょう。
見たことがない人は「何それ?」と思うでしょうが、午後8時からのゴールデンタイムで放送されていたことを知れば、いかに人気があったのかが、認識として分かるのではないかと思います。
知らない方のために簡単に説明しますと、ローラースケートで競輪のバンクのようなところを回り,攻守をチェンジしながら、攻撃側は1,2名がヘルメットをかぶり、相手を一周抜くとポイントが入るゲームなのです。たったこれだけのスポーツがどうしてブームになったのかというと、格闘技の要素(いやプロレスかな?)がふんだんに入っていたからなのです。そうなるとヒール役とベビーフェイスの役柄が登場するわけで、もちろんレフェリーが見ていなければ隠れた反則攻撃もありということです。
番組名は「日米対抗ローラーゲーム」であり、昭和のプロレスと同様に、日本側がベビーフェイス、アメリカ側がヒール役になるわけです。
毎週かなりワクワクしながら見ていたのですが、あっという間にブームは去ってしましました。私たちの年代で、ローラースケートやアイススケートがあまりやったことないはずなのに上手であればば、当時ローラーゲームにはまっていた人ではないでしょうか。

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私が子どものころは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のどちらかが格闘技世界一と思っていたのです。
ですから馬場ファンと猪木ファンは、どちらも譲らず言い争いが絶えなかったのです。
当時NWAタイトルというのは世界で一番権威のあるタイトルでしたから、このベルトを持っているものがプロレスラーとして世界一ステータスが高いといえたでしょう。
このNWAタイトルを馬場選手は2度も奪取しているのです。
チャンピオンが来日していた1週間ずつの計2週間だったことはさておき、NWAチャンピオンの馬場選手の晴れ姿、見たいですよね。

ではどうぞご覧ください。

ジャイアント馬場
当時学校から帰ってきたら巨人の試合をやってて、長嶋の最後の打席を見ることができたのです。
とはいっても、長嶋茂雄がどれほど偉大な選手であるかということもわからなかったのですが、テレビを見ていて「これはいつもとは違うな」ということは、なんとなく雰囲気でわかりました。
確か最後の打席では左翼線にファールを打った場面は覚えていますが、ヒットではなかったと思います。
試合は10対0で中日に勝ったと記憶しています。
セレモニーでの「永久に不滅です」ということがどういう意味かわかりませんでしたが、長い話をしているなという印象は残っています。

テレビ観戦ながらリアルタイムで見れたことは、今になって大きな価値になっています。
どうぞ当時の映像をご覧ください。

長嶋茂雄現役引退
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