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懐かしい昭和レトロを体験してください。 独断と偏見でどんどん更新します。 あなたの想い出も投稿してください。
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昭和の時代に、爆発的に流行ったスポーツとしての代表格はボーリングですが、見るスポーツで流行ったものといえば「ローラーゲーム」でしょう。
見たことがない人は「何それ?」と思うでしょうが、午後8時からのゴールデンタイムで放送されていたことを知れば、いかに人気があったのかが、認識として分かるのではないかと思います。
知らない方のために簡単に説明しますと、ローラースケートで競輪のバンクのようなところを回り,攻守をチェンジしながら、攻撃側は1,2名がヘルメットをかぶり、相手を一周抜くとポイントが入るゲームなのです。たったこれだけのスポーツがどうしてブームになったのかというと、格闘技の要素(いやプロレスかな?)がふんだんに入っていたからなのです。そうなるとヒール役とベビーフェイスの役柄が登場するわけで、もちろんレフェリーが見ていなければ隠れた反則攻撃もありということです。
番組名は「日米対抗ローラーゲーム」であり、昭和のプロレスと同様に、日本側がベビーフェイス、アメリカ側がヒール役になるわけです。
毎週かなりワクワクしながら見ていたのですが、あっという間にブームは去ってしましました。私たちの年代で、ローラースケートやアイススケートがあまりやったことないはずなのに上手であればば、当時ローラーゲームにはまっていた人ではないでしょうか。

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やはり仮面ライダーの想い出は大きいですね。

語ることが多すぎて何から書いていいのかわからないくらいですが、仮面ライダーをはじめてみたのは第2話の「コウモリ男」からで、残念ながら第1話は見逃してしまいました。

早速、レコード屋さんにレコードを買いに行きました。

このレコードはつい半年前まで残っていたのですが、いつの間にか私の断りなしに捨てられていました。

藤岡弘さんが骨折してしまったので、すぐに旧1号は終わってしまったのですが、その事実上の最終回の「トカゲロン」のときは当時本郷猛が一度も出ていなかったことに気がつかなかったのです。

それまでに出てきた怪人たちが全員出てきたので、それに目がいっていたのです。やはり子どもですよね。

旧1号は変身ポーズはなかったのですが、ファンは多いはずです。



では主題歌をご覧ください。



仮面ライダー1号

私たちの時代のアイドル第一号と言えば、やはり天地真理でしょう。
あの時の爆発的な人気は、今から考えてもすごいものだったと思います。
過去の女性アイドルに比べると、松田聖子ほどの歌唱力があるわけでもなく、ピンクレディーのようなエンターテイメント性も感じられないのに、なぜあれほどまでに売れたのかを少し研究してみました。
当時、実力派歌手の小柳ルミ子に、レコードの売り上げでは負けていたことを考えると、世間が天地真理に求めていたものは、歌そのものではなかったのではないかと推測されます。
では何なのか。それは、小柳ルミ子と天地真理の歌っている姿を何度も見ていると気が付きました。
その大きな違いは「目の動き」です。演出なのかどうかは分かりませんが、天地真理の目の表現力は、それこそ「他に類を見ない」ほどの「超一級品」なのです。それも歌詞に合わせた表現なので見ている人にとって惹きこまれていくのです。その目の動きの表現は、レコードではなく、ステージではなくアップで顔が映るテレビで分かることができるのです。だから、レコードの売り上げは一番ではなくても人気が出るわけです。
もちろん目の動きだけがトップアイドルの理由ではなく、天地真理から感じる「包容力」や「未知の部分」が社会現象につながっていったことは間違いありません。

私個人としては、天地真理のようなアイドルは、この先出てこないのではないかと思います。
それは、アイドルの「未知でなければならない部分」が、最近トーク番組などで「未知ではなくなっていく」からです。
そういう面でも昭和のアイドルはよかったですよね。


私が子どものころは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のどちらかが格闘技世界一と思っていたのです。
ですから馬場ファンと猪木ファンは、どちらも譲らず言い争いが絶えなかったのです。
当時NWAタイトルというのは世界で一番権威のあるタイトルでしたから、このベルトを持っているものがプロレスラーとして世界一ステータスが高いといえたでしょう。
このNWAタイトルを馬場選手は2度も奪取しているのです。
チャンピオンが来日していた1週間ずつの計2週間だったことはさておき、NWAチャンピオンの馬場選手の晴れ姿、見たいですよね。

ではどうぞご覧ください。

ジャイアント馬場
当時学校から帰ってきたら巨人の試合をやってて、長嶋の最後の打席を見ることができたのです。
とはいっても、長嶋茂雄がどれほど偉大な選手であるかということもわからなかったのですが、テレビを見ていて「これはいつもとは違うな」ということは、なんとなく雰囲気でわかりました。
確か最後の打席では左翼線にファールを打った場面は覚えていますが、ヒットではなかったと思います。
試合は10対0で中日に勝ったと記憶しています。
セレモニーでの「永久に不滅です」ということがどういう意味かわかりませんでしたが、長い話をしているなという印象は残っています。

テレビ観戦ながらリアルタイムで見れたことは、今になって大きな価値になっています。
どうぞ当時の映像をご覧ください。

長嶋茂雄現役引退

万博といえば私たちの世代は大阪万博なんですよ。
私が行ったときはお客さんが多すぎて、2つぐらいのパビリオンしか入れなかったのです。残念
でも、雰囲気は今でも覚えてるぐらいいいものでした。
太陽の塔は有名ですが、虹の塔っていうのもありました(さすがに太陽の塔よりはしょぼかったですが)。
終わるときはさすがに寂しかったのですが、人気パビリオンのひとつであるフジパンロボット館を誰かが買ったというのを新聞で見て、パビリオンがひとつでも残ることがうれしかったことを記憶しています。

また行きたいって思うのは私だけではないと思います。
どうぞ当時の映像をご覧ください。

 大阪万博エキスポ70
報道ステーションで紹介されていましたが、阿久悠氏作詞で尾崎紀世彦さんが歌っている「また逢う日まで」とズーニーブーが歌っていた「ひとりの悲しみ」は同じ曲だったそうです。
「また逢う日まで」はレコード大賞をとった名曲中の名曲ですが、「ひとりの悲しみ」はあまり売れなかったそうです。
視聴できるサイトを捜しましたので皆さんにも聞いて欲しいのですが、これもまたいい歌です。
特に「明日が見えぬ今日の終わりに、背伸びをしてみても何も見えない。」ってところが阿久悠さんらしくていいですよ。

「ひとりの悲しみ」の歌詞もすばらしい!!
「ひとりの悲しみ」視聴 ←こちらからどうぞ

「また逢う日まで」 ←こちらからどうぞ



「仮面ライダースナック」のカードがとにかく欲しくて買いましたよね。
でも、スナック自体の味のほうはいまいち
かっぱえびせんを甘くしたような味でした。
なにせカードだけもらったら、お菓子の袋ごと捨ててる子どももいたぐらいですから...
そのいまいちの味でももう一度食べてみたいと思うのは私だけでしょうか?
復刻版が何年か前に出ましたが、当時の味付けじゃなかったのが残念でしたよね。
ラッキーカードや新カード、思い出を語りつくせばキリがないぐらいですよね。
で、最後にこの仮面ライダースナックのCMをご覧ください。

仮面ライダースナックCM
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